感想「最後にして最初の人類」(ネタバレあり)

※ネタバレがあります

 

 ヨハン・ヨハンソンの荘厳な音楽をBGMに、旧ユーゴスラビアにあるスポメニック(戦争記念碑)の映像とティルダ・スウィントンのナレーションがひたすら流れている映画である。正直文字に起こすと、「なんだそれ」と言うしかない。でも、本当にそれだけで構成されている。それだけなのに、「なにかすごいものを見てしまった…」という強烈な感覚が残った。

 71分の間、モノクロのスポメニックの映像をひたすら見せられるだけでも十分怖い。そこに20億年後の人類からのメッセージと、荘厳なBGMが加わることで、「物語に描かれていないこと」を想像してしまい、余計に怖かった。

 様々なアングルから映されるスポメニックを見ながら、ここは一体どこなのか、と考えていた。20億年後の地球なのか、それとも、全然違うどこかの惑星なのか?イメージ映像なのか?云々。その疑問は、語り手の言葉によって解決した。そこは、20億年後の人類が住む、海王星だったのである。この映画のために作られた建物やセットは一つもない。それなのに、これは遥か未来の人類が作ったものだと思えてくる。ときには、彼ら自身を表しているようなものも出てくる。

 数億年後の未来。人類は、唯一生存可能な惑星である海王星に適応するため、身体を作り変え、コミュニケーション方法をも変えた。しかし、ある要因によって、もはや人類という種が絶滅する未来を回避することはできなくなってしまった。

 それでも彼らは、絶望のなかでも、人類への希望を捨てなかった。過去への干渉が、未来に影響するという一縷の望みにかけて、20億年の時を超えて、メッセージを発信した。彼らは、人類という種への希望を捨てない。長い時間をかけて人類が培ってきた「愛」を、信じている。

 原作は、アーサー・C・クラークも影響を受けたという、1930年代のSF小説である。科学技術や人類そのものへの諦観、閉塞感といったものが感じられないのは、その時代の特徴だろうか。それとも、監督による脚色だろうか。いずれにせよ、まだ未来に希望があった時代のSFという気がして、なんだか切なくなってしまった。